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Number 10/27 「名将バイブル:グアルディオラと7人の刺客」を読んで

Posted by Unknown On 2011年12月31日土曜日 0 コメント

こちらもけっこう前に読了していたのですが…今回も気になった箇所のメモです。


「1980's-2010's 欧州名将系統図」


「バルサの超攻撃革命 グアルディオラ:3-4-3とセスク獲得の謎」(pp. 16-22)
狙いは、ボールの周りに常に数的優位を作ること。そして、ボール保持者と守備者が1対1になる状況を相手に決して作らせないこと。最終的に1対1を仕掛けざるを得ないならば、1番巧い選手(今でいうメッシ)のところでその場面を用意する。


「チェルシー復権を託された青年ビラスボアス:33歳の異端児は何者か」(pp. 28-32)
2002年にポルト監督に就任したモウリーニョのアシスタントコーチとして招集され、その後もチェルシー、インテルとモウリーニョの右腕(アシスタントコーチ)として活躍する。
ところが、ビラスボアスも現場で仕事をしたいと思うようになりモウリーニョに打診するも、受け入れられず。ここから2人の関係は悪化し、2人と親交の深い記者ヌーノ・ルス氏によれば「いまじゃ口もきかなくなってしまった」らしい。

1994年(16歳):ポルトの当時監督ロブソンに戦術の改善点などを書いて送った手紙で認められ、スタッフとして情報分析や通訳を任される。この時のチーフアシスタントがモウリーニョだった。

1995年(17歳):英国立スポーツセンターへ留学。スコットランドサッカー協会での指導者講習を経て、UEFAのC級ライセンスを取得。

2000年(22歳):英国領ヴァージン諸島の代表監督に就任。通算2戦2敗で、18ヶ月で辞任。


「マンUの生き字引が語るファーガソン:革命なき4半世紀」(pp. 36-40)
1986年にファーガソンがマンUに来て以来、彼はほぼ5年のサイクルでチームの改造を行なってきた。今年で任期26年目なので、現在のユナイテッドは5期目という事になる。

最初の改造は1989年。後の1992−1993年シーズンで26年ぶりにリーグ優勝(プレミアリーグ初代王者)をする。このチームの最後のピースとなったのがエリック・カントナ。

第2期の改造は1995年。カントナを除く主力を放出。ベッカム、ギグス、スコールズ、ニッキー・バット、ネビルの若手が台頭し、1998−1999年シーズンにイングランドのクラブとしては初めて3冠(プレミアリーグ、FAカップ、CL)を達成。

第3の改造。GKピーター・シュマイケルの後釜としてバルテズなど試したが上手くいかず。またベロンも獲得するが上手くチームにフィットせず。ファン・ニステルローイの獲得は成功だったが、ファーガソンは納得しなかったらしい。本当は60歳になれば引退するつもりだったが、3番目のチームが安定せずに監督を続行する。

第4期のチームでは、ベッカムを放出する代わりにC・ロナウドを獲得。翌年にはルーニー、そしてファン・デル・サールを獲得。2006−2007年シーズンにリーグ優勝し、翌年にはCL優勝。

ファーガソンがこのように長期にわたってコンスタントに結果を残しているもう1つの理由として、彼の戦術面での順応の速さがある。4-4-2から、カントナ時代の「10番」のいるサッカー、ロナウドを擁した4-2-3-1、ゼロトップへと常に戦術を変化させてきた。これはファーガソンが志向する戦術・システムが先行してそれに合った選手を獲るのではなく、「素材」を重視する。その素材が育ったうえで、自然と生まれてくるチーム内の化学反応にシステムや戦術を合わせる。


「マンチーニ:500億円軍団と挑む至上の夢」(pp. 42-43)
パトリック・ビエラは2010年1月にマンチェスター・シティ入りし、引退後の今シーズンからは育成に携わっている。


「ドルトムントは再び輝けるか:クロップ:王者を襲う"後遺症"に克て」(pp. 48-49)
過去10シーズンの中で、連覇はバイエルン・ミュンヘンが一度達成しただけ。それ以外は、毎シーズンチャンピオンチームは入れ替わっている。
→序盤は苦しみましたが、何だかんだ言って12/31の時点は首位のバイエルン・ミュンヘンと勝ち点差3の2位に付けてます。


「ビエルサ:愛すべき変人のぶれない流儀」(pp. 56-61)
25歳で現役引退後、ブエノスアイレスで大学チームを率いたが、あまりの練習量に選手が来なくなったらしい。

ビエルサの練習はプレーを止めるため、練習時間はリーガで1番長い。

チリ代表を率いた時も初戦に敗れ、W杯南米予選もアルゼンチンに負けてスタートしている。ビエルサは時間をかけて結果を出すタイプ。
1月4日の時点で9位のようです。


「欧州最先端の潮流を探る:クライフ、サッキからグアルディオラ、モウリーニョまで」(pp. 62-65)
モウリーニョ:「戦術自体が問われる時代は終わった。戦術そのものではなく、戦術を実現するためのトレーニングで監督の差がつくんだ」

現代サッカーの練習法の源流を遡ると、2人の人物に行き着く。オランダのクライフとイタリアのアリゴ・サッキだ。大雑把に言えば、前者が攻撃の練習法を、後者が守備の練習法を劇的に進化された。

現在でもバルセロナは、練習と言えばほぼロンド(もしくはその変形版)しかやらない。人数やタッチ数の制限を変え、時にはハーフコートの広さでパス回しを行う。彼らにとって、試合そのものが大きなロンドのようなものだ。

ファン・ハールはパスサッカーを効率良くできるように戦術をシステム化し、ポジションに応じた約束事を細かく決め、チームとしての連動性を自動化しようとした。

一方でサッキ(アマチュア上がり)は相手がボールを持った状態(=守備)を前提にしたサッカーを取り組んだ。組織的に相手からボールを奪う「ゾーンプレス」の事である。サッキが画期的だったのは、難解なゾーンプレスを実現するための練習法をステップに分けてマニュアル化したこと。こうして誰もが理解できる形にしたおかげで、サッキの練習法は恐るべき速さでイタリア国内の若手監督に吸収されていった。

最近では選手のコンディション面に注目して練習法を決める「ピリオダイゼーション」という新概念も出てきた。選手の状態に併せて綿密に練習量をコントロールして体への負荷を減らし、常に100%の能力を引き出すことを目指す。いい状態で練習した方がパフォーマンスが上がるという考え方である。その第一人者はオランダ人のレイモンド・フェルハイエン。

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