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Number 10/27 「名将バイブル:グアルディオラと7人の刺客」を読んで

Posted by Unknown On 2011年12月31日土曜日 0 コメント

こちらもけっこう前に読了していたのですが…今回も気になった箇所のメモです。


「1980's-2010's 欧州名将系統図」


「バルサの超攻撃革命 グアルディオラ:3-4-3とセスク獲得の謎」(pp. 16-22)
狙いは、ボールの周りに常に数的優位を作ること。そして、ボール保持者と守備者が1対1になる状況を相手に決して作らせないこと。最終的に1対1を仕掛けざるを得ないならば、1番巧い選手(今でいうメッシ)のところでその場面を用意する。


「チェルシー復権を託された青年ビラスボアス:33歳の異端児は何者か」(pp. 28-32)
2002年にポルト監督に就任したモウリーニョのアシスタントコーチとして招集され、その後もチェルシー、インテルとモウリーニョの右腕(アシスタントコーチ)として活躍する。
ところが、ビラスボアスも現場で仕事をしたいと思うようになりモウリーニョに打診するも、受け入れられず。ここから2人の関係は悪化し、2人と親交の深い記者ヌーノ・ルス氏によれば「いまじゃ口もきかなくなってしまった」らしい。

1994年(16歳):ポルトの当時監督ロブソンに戦術の改善点などを書いて送った手紙で認められ、スタッフとして情報分析や通訳を任される。この時のチーフアシスタントがモウリーニョだった。

1995年(17歳):英国立スポーツセンターへ留学。スコットランドサッカー協会での指導者講習を経て、UEFAのC級ライセンスを取得。

2000年(22歳):英国領ヴァージン諸島の代表監督に就任。通算2戦2敗で、18ヶ月で辞任。


「マンUの生き字引が語るファーガソン:革命なき4半世紀」(pp. 36-40)
1986年にファーガソンがマンUに来て以来、彼はほぼ5年のサイクルでチームの改造を行なってきた。今年で任期26年目なので、現在のユナイテッドは5期目という事になる。

最初の改造は1989年。後の1992−1993年シーズンで26年ぶりにリーグ優勝(プレミアリーグ初代王者)をする。このチームの最後のピースとなったのがエリック・カントナ。

第2期の改造は1995年。カントナを除く主力を放出。ベッカム、ギグス、スコールズ、ニッキー・バット、ネビルの若手が台頭し、1998−1999年シーズンにイングランドのクラブとしては初めて3冠(プレミアリーグ、FAカップ、CL)を達成。

第3の改造。GKピーター・シュマイケルの後釜としてバルテズなど試したが上手くいかず。またベロンも獲得するが上手くチームにフィットせず。ファン・ニステルローイの獲得は成功だったが、ファーガソンは納得しなかったらしい。本当は60歳になれば引退するつもりだったが、3番目のチームが安定せずに監督を続行する。

第4期のチームでは、ベッカムを放出する代わりにC・ロナウドを獲得。翌年にはルーニー、そしてファン・デル・サールを獲得。2006−2007年シーズンにリーグ優勝し、翌年にはCL優勝。

ファーガソンがこのように長期にわたってコンスタントに結果を残しているもう1つの理由として、彼の戦術面での順応の速さがある。4-4-2から、カントナ時代の「10番」のいるサッカー、ロナウドを擁した4-2-3-1、ゼロトップへと常に戦術を変化させてきた。これはファーガソンが志向する戦術・システムが先行してそれに合った選手を獲るのではなく、「素材」を重視する。その素材が育ったうえで、自然と生まれてくるチーム内の化学反応にシステムや戦術を合わせる。


「マンチーニ:500億円軍団と挑む至上の夢」(pp. 42-43)
パトリック・ビエラは2010年1月にマンチェスター・シティ入りし、引退後の今シーズンからは育成に携わっている。


「ドルトムントは再び輝けるか:クロップ:王者を襲う"後遺症"に克て」(pp. 48-49)
過去10シーズンの中で、連覇はバイエルン・ミュンヘンが一度達成しただけ。それ以外は、毎シーズンチャンピオンチームは入れ替わっている。
→序盤は苦しみましたが、何だかんだ言って12/31の時点は首位のバイエルン・ミュンヘンと勝ち点差3の2位に付けてます。


「ビエルサ:愛すべき変人のぶれない流儀」(pp. 56-61)
25歳で現役引退後、ブエノスアイレスで大学チームを率いたが、あまりの練習量に選手が来なくなったらしい。

ビエルサの練習はプレーを止めるため、練習時間はリーガで1番長い。

チリ代表を率いた時も初戦に敗れ、W杯南米予選もアルゼンチンに負けてスタートしている。ビエルサは時間をかけて結果を出すタイプ。
1月4日の時点で9位のようです。


「欧州最先端の潮流を探る:クライフ、サッキからグアルディオラ、モウリーニョまで」(pp. 62-65)
モウリーニョ:「戦術自体が問われる時代は終わった。戦術そのものではなく、戦術を実現するためのトレーニングで監督の差がつくんだ」

現代サッカーの練習法の源流を遡ると、2人の人物に行き着く。オランダのクライフとイタリアのアリゴ・サッキだ。大雑把に言えば、前者が攻撃の練習法を、後者が守備の練習法を劇的に進化された。

現在でもバルセロナは、練習と言えばほぼロンド(もしくはその変形版)しかやらない。人数やタッチ数の制限を変え、時にはハーフコートの広さでパス回しを行う。彼らにとって、試合そのものが大きなロンドのようなものだ。

ファン・ハールはパスサッカーを効率良くできるように戦術をシステム化し、ポジションに応じた約束事を細かく決め、チームとしての連動性を自動化しようとした。

一方でサッキ(アマチュア上がり)は相手がボールを持った状態(=守備)を前提にしたサッカーを取り組んだ。組織的に相手からボールを奪う「ゾーンプレス」の事である。サッキが画期的だったのは、難解なゾーンプレスを実現するための練習法をステップに分けてマニュアル化したこと。こうして誰もが理解できる形にしたおかげで、サッキの練習法は恐るべき速さでイタリア国内の若手監督に吸収されていった。

最近では選手のコンディション面に注目して練習法を決める「ピリオダイゼーション」という新概念も出てきた。選手の状態に併せて綿密に練習量をコントロールして体への負荷を減らし、常に100%の能力を引き出すことを目指す。いい状態で練習した方がパフォーマンスが上がるという考え方である。その第一人者はオランダ人のレイモンド・フェルハイエン。
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Number 11/24 「日本サッカー育成最前線:世界で戦えるサムライの作り方」を読んで

Posted by Unknown On 2011年12月28日水曜日 0 コメント

いつものように気になったところを書き残しておきます(1ヶ月以上前に発売された雑誌ですが…)。

「自由と逆境から得たもの:大分で培われた"感覚"という名の武器」
 五輪代表・A代表での活躍を受けて「なぜそういったプレーができるのか?」という質問に対してキヨは「よく分からないです。俺っていつも感覚というか本能でプレーしてるんですよ。それって練習で身につくものではないし、自分の持っているものじゃないですか。だから説明つかないし、『あのプレーはどういう意図でやったんですか?』って聞かれても、感覚でやったとしか言いようがないんです。たまに調子が良すぎて、自分自身のプレーに驚くこともありますからね」と答えている。

小4で父が監督を務める明治北SSCに入団。飛び級で6年生チームでプレーし、全日本少年サッカー大会に出場。中学では、九州屈指の強豪カティオーラFCに入団する。しかし、体の小ささや膝の病気、熾烈なレギュラー争いで徐々にサッカーを楽しめなくなり、中2の初夏に選手の個性を重視して育成することを目指す大分トリニータU-15に入団。
 大分U-15ではFWとしてプレー。大分U-15は学年が多岐に渡り、レベルの差もあった。こういう環境では普通、レベルの高い選手が低い選手を軽視し個人プレーに偏りがちだが、カティオーラでの挫折の経験があるキヨはチームを引っ張った。
 中3でU-18に飛び級。そこでフィジカルの壁にぶつかる。練習では、1000mを3分30秒で走るのを7本などをこなした。また守備も課題だったので複数のポジションを経験させられる。
 高2の冬にトップチームに飛び級するも、2007年2月のグアムキャンプで左足第5中足骨を骨折し、1年を棒に振った。その間にフィジカル強化の為に筋トレに励み、12kgも体重を増やした。

小学6年の時、全日本少年サッカー大会の準々決勝で審判に「てめえ、殺すぞ」と暴言を吐き、退場処分を受けた。

クラブユース選手権の出発前に胃腸炎を患い、2週間隔離されている。また、Jユースカップの神戸戦でゴールを決めて喜んで、振り向きざまに相手と交錯して足を骨折している。


「U-17W杯ベスト8監督:魅惑のパスサッカーを生んだ吉武博文の育成哲学。」
「重要なのは、自分たちで問題を見つけ、それを自分たちで解決できるようになること。一言で言ったら、自立・自律ですね」

技術指導はかなり具体的。→「この状況では、くるぶしの真下にボールを当てるのではなく、つま先から5cmの範囲に当てた方がいい」

試合の中で、選手のポジションは当たり前のように入れ替わる。その時、選手が果たすべき役割は、それが誰であろうと、今どこにいるかによって決まる。人に役割を与えるのではなく、ポジションに役割を与える。


「リーガ・エスパニョーラへの道:バレンシア日本校では何を教えているのか。」
バレンシア日本校の校長である中谷吉男は2009年にセレッソ大阪U-18の監督して日本クラブユース選手権で優勝した経験がある。

中谷は30歳で関テレを退社し、2004年から3シーズンに渡ってマジョルカ、ヘタフェなどの1部リーグの下部組織で指導者を務めた。その後、2006年にUEFA最高位の指導資格を取得。


「小さな少年の大きな挑戦:久保建英君はなぜ10歳でバルサに行けたのか?」
川崎フロンターレU-12監督の高﨑康嗣によると、U-12世代の育成で大事な要素は「選手がサッカーの本質を理解し、楽しむこと」で、選手たちには「どうゴールを奪うか考えること」を要求する。目的がゴールではなく判断のないプレーには指摘を入れる。


「日本代表キャプテン研究:彼らはいかにしてリーダーとなったのか。」
宮本:「ジーコ監督がクロアチア戦の前に必死になってミーティングしているのに、あくびをしている選手もいた」

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Jリーグにおける勝ち点に関する考察

Posted by Unknown On 2011年12月3日土曜日 0 コメント
いよいよJリーグ2011年シーズンも今日の最終節を残すのみとなりました。
そして気になるのが、まだ確定していない「残留争い」と「優勝決定」の2つ。この2つに関して面白い記述を見つけたのでご紹介。

サッカーコピペまとめブログ : J1は勝ち点38あれば残留できる

今日、甲府が最終戦勝ったとして勝ち点は36。
2010年16位 瓦斯 勝ち点36
2009年16位 柏 勝ち点34
2008年16位 磐田 勝ち点37 残留決定戦で勝って残留

と見ると、大体勝ち点38以上あれば残れる。

まあこれは定説化しつつありますね。もし甲府が今日勝って15位の浦和が負けたら(つまり柏がJ1昇格初年で優勝という快挙)、両者は勝ち点で並ぶけど、得失点差が開いているので甲府は厳しそう…

そしてそうです。もし浦和が負けたとしたら、対戦相手の柏は勝ち点3を積み重ねて自力優勝です。但し、「そう簡単に行くのか?」と疑問を持ってしまうデータもありました。

サッカーコピペまとめブログ : レイソルは優勝出来ない!?

初V狙う柏に不吉なデータ…最終節「勝ち点1差」はV率0%
1シーズン制となった2005年以降の7シーズンで、 最終節まで優勝決定が持ち越されたのは今回が通算6度目。
2位に勝ち点1差の首位で最終節を迎えた2005年のC大阪は△、2007年の浦和は●でともに優勝を逃している。

ぐぬぬ。セレサポとしては思い出したくないデータを引用されてしまいました(といっても僕は当時アメリカへ留学中だったのでニュースでしか知りませんが)。

とにかく今日のJ1最終節は面白いことになりそうです!ではこの後キンスタへ向かいます!
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セレッソの入団1年目たちの出場データ

Posted by Unknown On 2011年12月1日木曜日 0 コメント
こんなん見っけた。

J1・ルーキーの出場データ|Jリーグブログ|J SPORTS

村田和哉:5試合68分/0得点
金聖基:0試合0分/0得点
野口直人:0試合0分/0得点
夛田凌輔:0試合0分/0得点

村田くんはもっと出てる印象があったけど、リーグ戦に限ればまだ1試合分も出てないのか。セレッソの前線の選手の中では、村田くんみたいな縦への推進力を持ったドリブラーは他にいない。来季は新監督の下でどんなサッカーを目指すか未知やけど、ぜひスタメンを勝ち取ってほしい。村田の飛躍に期待して来季のレプリカユニフォームは彼にしようと思ってます。

村田くん以外の金、野口、夛田も3人もSULにはコンスタントには出場してるし、来季に期待。
そして健勇はプロA契約おめでとう。コメントの通り、プロAに恥じない活躍を見せてくれ!

杉本健勇選手プロA契約に変更のお知らせ | セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE
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各大会の賞金のお話。

Posted by Unknown On 0 コメント
あまりにも差があるので愕然としました。

欧州CL(09-10シーズン)
優勝   900万ユーロ(約9億2000万円)
準優勝 520万ユーロ(約5億3500万円)
ベスト4 400万ユーロ(約4億1000万円)
ベスト8 330万ユーロ(約3億4000万円)
ベスト16 300万ユーロ(約3億1000万円)
参加賞 380万ユーロ(約3億9000万円)
一試合ごとに+55万ユーロ(約5600万円)
勝つと+80万ユーロ(約8200万円)
引き分けでも+40万ユーロ(約4100万)

らしいです。一方で国内とアジアに目を向けてみると、

Jリーグ
優勝 2億円
2位 1億円
3位 8,000万円
4位 6,000万円
5位 4,000万円
6位 2,000万円
7位 1,000万円
ACL優勝 1億5,000万円
J2リーグ優勝 2,000万円
Kリーグ優勝 1,500万円
ナビスコ杯
優勝 1億円
2位 5,000万円
3位 2,000万円
天皇杯 
優勝 1億円
2位 5,000万円
3位 2,000万円

ACLが欧州CLより賞金が少ないのは容易に想像できるけど、Jリーグ優勝よりも少ないとは…
果たして正確なのか確証はないですが。ソースはこちら。

サッカーコピペまとめブログ : 欧州チャンピオンズリーグの賞金
サッカーコピペまとめブログ : 日本国内サッカーの賞金一覧
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遠藤保仁『信頼する力』を読んで。

Posted by Unknown On 2011年11月6日日曜日 0 コメント
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信頼する力 ジャパン躍進の真実と課題 (角川oneテーマ21)
遠藤 保仁
角川書店(角川グループパブリッシング) 2011-01-08
by G-Tools , 2011/11/06

ガチャピン氏の著書。内容的には薄かったので一気に読めるはずでしたが、最近は読書の時間があまり取れないのが悩みであります。


日本の国歌って他の国の国歌と比べても盛り上がりに欠けて暗い印象があるから、国際試合の前に聞いてどんな気分になるのか疑問に思ってたけど、ガチャピンはこんな感想を。「海外で国歌を聞くのは、いいものだ。気持ちが引き締まり、日本という国を改めて強く意識させれれる。そして、日本人として「戦うんだ」という気持ちがふつふつと湧いてくる」(p.55)

2010W杯南アフリカ大会、日本の初戦カメルーン戦の試合会場ブルームフォンテーンには時計がなかったらしい。(pp.63-64)

息子の楓仁くん(4歳)もサッカーをしているけど、右利きなのが少し残念らしい。(p.92)

南アフリカ大会の後にジェノアから給与額も提示され、オファーがあったらしい。残るは移籍金の問題だけという所まで行ったが、同時期にジェノアが他の選手も獲得して資金が足りなくなって、実現しなかったらしい。(p.134)

初耳。そうなのか?「W杯優勝国のサッカーは、その後のサッカーのトレンドになると言われている。」(p.143)

韓国・中国・オーストラリアと日本の4カ国でアジア版UEFAカップを開くことを提案している。理由は、リーグ戦で10位前後のチームは、シーズン後半は優勝争いもなく、モチベーションに欠けるので。実現可能性はどの程度か分からへんけど、確かにJリーグのレベルを上げるには良いかも。(pp.153-154)

吹田FWの平井を「毎試合、結構、シュートを外す。一本の重みを理解していない。チャンスは無限にあるものだと思っている。」と名指しで厳しく言ってる(笑) (p.166)

ザッケローニ監督は急激に代表チームに変化をもたらすことはなかったと書いてある。唯一、以前と変わったのはウォームアップの仕方。岡田前監督やトルシエはウォームアップの最初からボールを使っていたらしいけど、ザッケローニ監督は、腹筋・背筋・腕立て伏せなどのエクササイズから入る。体を動かす前に、刺激を入れるためと怪我の防止のためらしい。(pp.200-201)


全体と通して、目新しい事はあまり書いてなかった。そもそも、初刊の年月日を見ても、ガチャピン氏はあんなに多忙やのに本一冊を書き上げる時間はあったんやろうか疑問。特に心に響くものもなかった。

遠藤 保仁(2011)『信頼する力:ジャパン躍進の真実と課題』東京:角川oneテーマ21
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セレサポになったきっかけは?

Posted by Unknown On 2011年10月16日日曜日 0 コメント
ドメサカ板まとめブログで「セレサポになったきっかけは?」という記事がありました。
良い機会やから、一度自分の軽ーいセレサポ歴を軽ーく振り返ってみようと思います。
(因みに僕は1987年生まれの現在24歳です。)

その記事にはこんな目安が紹介されていました。

■第1次世代 ~1996
1.JSLヤンマーを応援してた
2.大阪市がホームタウンだったから
■第2次世代 1997~
3.森島、西澤の台頭(代表入り)
■第3次世代 2000~
4.2000優勝争い
5.大久保の入団
6.2005優勝争い
■第4次世代 2007~
7.香川の台頭+乾の入団



これに照らし合わせると自分はギリギリ第1次世代に入るんかな〜って感じです。

そもそもサッカーが好きになったきっかけはJリーグの開幕です。Jリーグ開幕の1993年で通っていた保育園でもサッカー人気が爆発してました。当時、大阪にホームを構えるチームは吹田しかなく、遠い上にあまりにも弱かったので、特に好きなクラブはなし。

そして小2になって、長居がホームのセレッソ大阪というチームがJリーグに加盟するとニュースで聞いて、「長居って近鉄で一本やから近い→サポーターになろう!」という単純明快な理由でセレッソ大阪が好きになりました。それと天皇杯でJリーグの強豪を倒し続けて決勝まで行った時は感動してました。

といっても、小学時代は電車に乗るのもチケットを取るのも大金が必要だったのでスタジアムに足を運ぶのは親に連れられて年に数回。確か初めて見たJリーグの試合は、名古屋グランパスエイト戦で、ストイコビッチにボコボコにされていた記憶があります(笑)2000年のステージ優勝が目前まで迫っておいて逃した時は悔しかったなー。

中高もずっと部活で週末は潰れていたので、スタジアムに見に行くのは年に数回。見に行っても、一番安いホームゴール裏の最上段の方で、友達とああやこうや言いながら観戦してるのみ。2005年、アメリカ留学から帰国してみると、セレッソが優勝争いに絡んでてビックリ(笑)そして優勝が掛かった最終節、テレビにかじり付いて見てたけど、終了前に同点に追い付かれた時は膝から崩れ落ちました。あれで関東のチームはほんまに嫌いになりました(笑)

大学(2006〜2009年度)は大阪を離れ一人暮らしだったので、TV放送があれば見るくらい。モリシの引退試合に行けなかったのは今でも後悔しています。けど2009年のJ2昇格が決まった試合は久々に生で観戦できて嬉しかった。

大学院は大阪の学校に進学したので実家に戻って来ました。時間とお金に余裕ができたのと、魅力的なサッカーを見せてくれるので、一気にスタジアムで観戦する回数が増えました。そして今季と続く訳です。

来季からはどうなることやら…

まあでもこれからも自分なりのペースと距離感を保ちながらサポーターであり続けます。
早く何でもええからタイトルが取りたいなぁ…
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『審判目線』を読んで。

Posted by Unknown On 2011年10月9日日曜日 0 コメント
審判目線 面白くてクセになるサッカー観戦術
審判目線 面白くてクセになるサッカー観戦術

を読んだので、メモ・感想を残しておきます。

W杯などで導入されているレフェリーの無線システムは電波法の問題で日本では使えないらしい。(p.73)

2004年に設立されたJFAレフェリーカレッジでは、判定に説得力を持たすための「身体表現」を養うために講義に演劇を入れた。(p.107)

日本サッカー界におけるファール基準と世界基準で特に大きな隔たりがあるのは、ホールディング、遅延行為、そしてファールスローの3つ。(p.132)

約400万ドルを掛けて、主にW杯審判候補者の審査・強化のために2008年から2年半にわたり審判援助プログラム(Refereeing Assistance Programme = RAP)が実施された。プログラムは、①審判技術の指導・強化のための「テクニカル」、②体力・走力などを向上するのための「フィジカル」、③怪我の予防・ケアの「メディカル」、④心理面をサポートする「メンタル」、そして⑤気功や太極拳によって試合中の立ち振る舞いや選手マネジメント能力を高めることを目指す「エナジー・パフォーマンス」から成る。(pp.178-179)

2010年W杯南アフリカ大会における判定(pp.179-181):
  • 得点に関する判定は160回。そのうち155回(正しくゴールと認めたのが142回、正しくゴールと認めなかったのが13回)が正しく判定されていた。(96.88%)
  • 枠内シュートは663本。そのうち5本がゴールラインを越えたか否か判断が難しかったが、そのうち4回は正しく判定された。正しく判定されなかった1本が、あのイングランドのランパードが決勝トーナメント1回戦のドイツ戦で放った幻のシュート
  • ペナルティーエリア内でファウルか否か判断が求められたのは65回。そのうち15回がファウルで、全て正しくPKと判定された。ノーファウルと判断された50回のうち45回は正しかったが、5回はPKと判定すべきだった。
  • 1試合あたりの警告数は3.82、退場数は0.27。※2006年ドイツ大会は、警告数4.80、退場数0.44。2010年J1は警告数3.25、退場数0.15。
  • 大会中の負傷のうち16%がファイルプレーによるもの。※2006年ドイツ大会は40%、2002年日韓大会は37%。

2010年W杯南アフリカ大会における審判(p.183):
  • 主審の1試合の平均走行距離は、前半5.21km、後半4.97km、合計10.18km。
  • 副審の1試合の平均走行距離は、前半2.79km、後半2.68km、合計5.47km。
  • 大会中、審判に対して怪我予防などの為に行ったトリートメントの回数は265回。※2006年ドイツ大会は199回。
  • 同じく大会中、審判が受けたマッサージの回数は489回。※2006年ドイツ大会は266回。
  • その結果、審判の負傷はドイツ大会の14回(試合中6回、練習中8回)から4回(試合中2回、練習中2回)に減った。

日本人審判で初めてW杯に出たのは丸山義行で1970年メキシコ大会。日本人主審として初めてW杯で笛を吹いたのは1986年メキシコ大会・1990年イタリア大会の高田静夫。そして1998年フランス大会の岡田正義、2002年日韓大会の上川徹、2006年ドイツ大会の上川徹・廣嶋禎数と続く。(pp.206-208)


やはりプレーを文字を読んで理解してそのプレー場面を想像するより、映像があった方が分かりやすいし、何より面白い。次回、同じような著書を出すならDVD付きなどいいかもと思った。最後の方には、W杯審判に上り詰めるまでのプロセスが書いてあって興味深かった。かなり競争は厳しいみたい。それとレビューは関東近郊開催の試合が多いから、他の地方も増やしてほしい。


松崎 康弘(2011)『審判目線:面白くてクセになるサッカー観戦術』東京:講談社
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『「フットサル・サッカープレイヤーが選ぶ」 ザックJAPAN支持率調査』について思ったこと。

Posted by Unknown On 2011年10月7日金曜日 0 コメント
『「フットサル・サッカープレイヤーが選ぶ」 ザックJAPAN支持率調査』というものが発表されていて、ちょっと面白かったので思ったことを書き連ねます。

1. 調査概要
【調査者】株式会社スポーツワン
【調査実施日】不明
【調査目的】不明
【調査参加者】調査者が主催する関東・近畿圏のフットサル・サッカー大会に参加する18〜40歳の男性・女性プレイヤー632人
【質問事項】「ザックジャパンを支持しますか?」
【回答選択肢】「支持する」、「支持しない」、「どちらでもない」の3択
【調査結果】
<男女総合>
支持する 88.3%(558票)
支持しない 7.9%(50票)
どちらでもない 3.8%(24票)

ザックJAPAN支持率(男女総合)

<男性>
支持する 87.5%(503票)
支持しない 8.3%(48票)
どちらでもない 4.2%(24票)

ザックJAPAN支持率(男性)

<女性>
支持する 96.5%(55票)
支持しない 3.5%(2票)
どちらでもない 0%(0票)

ザックJAPAN支持率(女性)

〈支持理由〉
  1. 「負けないから」(58%)
  2. 「采配が良い」(23%)
  3. 「容姿が好き」(15%)
  4. その他の理由:「世界に顔が利く」「私たちより上手い」「観てておもしろい」「他にいない」など。

〈不支持理由〉
  1. 「選手起用に不満がある」(70%)
  2. 「他に好きな監督がいる」(11%)
  3. その他の理由:「ザックを知らない」「ザックという響きが嫌い」など。

詳細はここに載ってます。リンクが切れていた時の為、PDF版はこちら

2. 思ったこと
2-1. 調査目的が不明
どんな調査にも目的があって調査を行うものです。例えばある飲料会社は今後のマーケティング戦略を練るために自社と他社の商品に対するエンドユーザーの評価など。まあ「ザックJAPANの支持率を調査する」というのが目的と言えなくはないですが、支持率を調査して「何にどう活かすのか」が分かりません。
調査目的が不明だと、「もっと調査参加者の数が必要だ」とか批評ができず、本来なら「調査として成立していない」のですが、調査結果(調査方法ではない。そもそも目的が不明瞭なので調査方法を批評のしようがない)が突っ込みどころ満載だったのでブログに書いています。

2-2. 支持理由・不支持理由がおもろい!
この調査がとにかくおもしろいのは、支持理由、不支持理由が突っ込みどころ満載なところです。1つずつ見ていきます。

2-2-1. 「容姿が好き」
ザッケローニ監督が就任してから無敗なんですよね、凄いなあ。そういう事もあって支持理由の1位は「負けないから」で58%もあったそうです。でも必ずいつかは負けるでしょう。個人的には、誤解を恐れずに言うと、そろそろ負けた方がいい気がします。負けて分かることもあるし、勝ってばかりだとええ気になってしまうし。ザックも無敗記録よりチームの成長の方が大事という趣旨の発言をしていましたね、禿同です。
そして3位に入った「容姿が好き」という回答が15%です。これは僕には「?」です。ザックがTVや雑誌に映っている時って、だいたいJFA公認のスーツかadidasのトレーニンウェアですよね?(たまにJの試合の視察でちらっと映るけど、服装はほとんど見えへんし…)「容姿」って「顔」のことですか?でもザックの顎には穴g(ry
※ 別にザックを誹謗中傷していません。むしろ彼の姿勢・性格は大好きです。

2-2-2. 「ザックを知らない」!?
不支持理由の上位2つは「選手起用に不満」や「他に好きな監督がいる」と妥当なものです。セレサポの僕としては真司の配置や「乾くんも呼べや!」と思っていますし。しかし他の不支持理由に目を疑いました。「ザックを知らない」!?!?ここでもう一度、調査参加者を確認すると、「サッカー・フットサル大会に参加した18〜40歳の男女」とあります。大会に参加するまで熱心な人が現在のサッカー日本代表監督を知らないという事があるのでしょうか…果たして何人が「ザックを知らない」と回答したかは不明ですが、Σ(´∀`;)です。
更に驚いたのが「ザックという響きが嫌い」という回答。ふざけて回答したのか、はたまた過去に「ザック」という名前の人に酷いフラレ方をして「ザック」という単語を聞くだけでトラウマが蘇ってくるのか…それとも人種差別主義者なのか…色々と考え巡らしてしまい、とても気になります。

さあいよいよ今夜はフレンドリー・マッチのベトナム戦。そして2014年W杯3次予選と続きます。こちらも大いに楽しみですが、本調査の追跡調査として11月のアジア3次予選が終わった後を予定しているらしく、こちらの調査結果も楽しみです。


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サッカーは戦争ではない

Posted by Unknown On 2011年10月2日日曜日 0 コメント
今日、TwitterのTLにこんなRTが流れてきました。

https://twitter.com/#!/football_wit/status/117796244063129600


お互い会ったこともないはずの村上龍とズヴォニミールの発言が上手く噛み合って、何だかまるで対話しているみたいだったので「おぉ、何かすげー」と一瞬思ったのですが、内容が内容なだけに色々と考えさせられました。

また、先日のACL準々決勝の2ndレグ。ボギョンが顔面骨折、扇原くんが右眉辺りを切っていました。その試合後にこんなブログ記事が書かれていました。



「サッカー」と「戦争」を結び付けて考えるなんて悲しいことです。


僕は今まで人生で2回サッカーによって(大袈裟ですが)救われました。

一度目は、17歳の時の留学でアメリカに到着した初日。今より更に英語が下手だったので、なかなか他の国からやって来た留学生と仲良くなれずにいたんですが、彼らがサッカーをしているのに混ぜてもらい、そこで仲良くなるキッカケができました。

二度目は、同じくアメリカ留学で。移民がいて当たり前のホストスクールだったので、日本人留学生にはなかなか気を留めてもらえず友達作りに苦労していたのですが、サッカー部に入って友達ができました。

だから僕にとってサッカーは「人間が殺し合う戦争」などではなく、「人との仲を深めてくれる最高のスポーツ」です。それ以外の何ものでもありません。


という感じでこれからサッカーやセレッソ大阪に関して思うこと・感じることを書き連ねていきます。


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