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Number 11/24 「日本サッカー育成最前線:世界で戦えるサムライの作り方」を読んで

Posted by Unknown On 2011年12月28日水曜日 0 コメント

いつものように気になったところを書き残しておきます(1ヶ月以上前に発売された雑誌ですが…)。

「自由と逆境から得たもの:大分で培われた"感覚"という名の武器」
 五輪代表・A代表での活躍を受けて「なぜそういったプレーができるのか?」という質問に対してキヨは「よく分からないです。俺っていつも感覚というか本能でプレーしてるんですよ。それって練習で身につくものではないし、自分の持っているものじゃないですか。だから説明つかないし、『あのプレーはどういう意図でやったんですか?』って聞かれても、感覚でやったとしか言いようがないんです。たまに調子が良すぎて、自分自身のプレーに驚くこともありますからね」と答えている。

小4で父が監督を務める明治北SSCに入団。飛び級で6年生チームでプレーし、全日本少年サッカー大会に出場。中学では、九州屈指の強豪カティオーラFCに入団する。しかし、体の小ささや膝の病気、熾烈なレギュラー争いで徐々にサッカーを楽しめなくなり、中2の初夏に選手の個性を重視して育成することを目指す大分トリニータU-15に入団。
 大分U-15ではFWとしてプレー。大分U-15は学年が多岐に渡り、レベルの差もあった。こういう環境では普通、レベルの高い選手が低い選手を軽視し個人プレーに偏りがちだが、カティオーラでの挫折の経験があるキヨはチームを引っ張った。
 中3でU-18に飛び級。そこでフィジカルの壁にぶつかる。練習では、1000mを3分30秒で走るのを7本などをこなした。また守備も課題だったので複数のポジションを経験させられる。
 高2の冬にトップチームに飛び級するも、2007年2月のグアムキャンプで左足第5中足骨を骨折し、1年を棒に振った。その間にフィジカル強化の為に筋トレに励み、12kgも体重を増やした。

小学6年の時、全日本少年サッカー大会の準々決勝で審判に「てめえ、殺すぞ」と暴言を吐き、退場処分を受けた。

クラブユース選手権の出発前に胃腸炎を患い、2週間隔離されている。また、Jユースカップの神戸戦でゴールを決めて喜んで、振り向きざまに相手と交錯して足を骨折している。


「U-17W杯ベスト8監督:魅惑のパスサッカーを生んだ吉武博文の育成哲学。」
「重要なのは、自分たちで問題を見つけ、それを自分たちで解決できるようになること。一言で言ったら、自立・自律ですね」

技術指導はかなり具体的。→「この状況では、くるぶしの真下にボールを当てるのではなく、つま先から5cmの範囲に当てた方がいい」

試合の中で、選手のポジションは当たり前のように入れ替わる。その時、選手が果たすべき役割は、それが誰であろうと、今どこにいるかによって決まる。人に役割を与えるのではなく、ポジションに役割を与える。


「リーガ・エスパニョーラへの道:バレンシア日本校では何を教えているのか。」
バレンシア日本校の校長である中谷吉男は2009年にセレッソ大阪U-18の監督して日本クラブユース選手権で優勝した経験がある。

中谷は30歳で関テレを退社し、2004年から3シーズンに渡ってマジョルカ、ヘタフェなどの1部リーグの下部組織で指導者を務めた。その後、2006年にUEFA最高位の指導資格を取得。


「小さな少年の大きな挑戦:久保建英君はなぜ10歳でバルサに行けたのか?」
川崎フロンターレU-12監督の高﨑康嗣によると、U-12世代の育成で大事な要素は「選手がサッカーの本質を理解し、楽しむこと」で、選手たちには「どうゴールを奪うか考えること」を要求する。目的がゴールではなく判断のないプレーには指摘を入れる。


「日本代表キャプテン研究:彼らはいかにしてリーダーとなったのか。」
宮本:「ジーコ監督がクロアチア戦の前に必死になってミーティングしているのに、あくびをしている選手もいた」

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